正信偈(しょうしんげ) 4

 

龍樹大士出於世(りゅじゅだいじしゅっとせ)  第五十一句 インド 200年ころ

天親菩薩造論世(てんじんぼさつぞうろんせ)  第六十一句 インド 350年ころ

本師曇鸞梁天子ほんしどんらんりょうてんし) 第七十三句 中国  500年ころ

道綽決聖道難証(どうしゃくけっしょうどうなんしょう) 第八十五句 中国  600年ころ

善導独明仏正意(ぜんどうどくみょうぶつしょうい第九十三句 中国 650年ころ

源信広開勧一切(げんしんこうかいかんいっさい) 第一〇一句 日本 950年ころ

本師源空明仏教ほんしげんくうみょうぶっきょう第一〇九句 日本1200年ころ

参考  龍樹菩薩、天親菩薩、曇鸞大師、道綽禅師、善導大師、源信和尚、

(法然)聖人。七高僧と言われる人が出ました。

お寺にある七高僧の軸を見る人もいるでしょう。

そして、七人の高僧の教えを受け継ぎ、親鸞聖人は、浄土真宗を確立

していきます。その流れですが、厳しい修行者だけでなく、普通の人

でも悟りの世界に導いてくださる方向です。

源空上人(法然)聖人は、浄土宗を創立しました。南無阿弥陀仏を熱

心に唱えることで浄土に行けると説きます。比叡山を下りて、民家が

多くあるところで教えを広めました。

法然のもとで、親鸞(1250年ころ)が、教えを求めます。やがて

浄土真宗の創立に繋がりました。正信偈は、七高僧を順次紹介し、最

後に、唯可信斯高僧説 七高僧を信じなさい」と結んでいます。

正信偈(しょうしんげ) 3

在世自在王佛所(ざいせじざいおうぶつしょ)

 

要旨  世自在王佛(せじざいおうぶつ)という仏さまが住んでいる所があ

りました。正信偈の四句目にあります。

参考  阿弥陀仏はすぐにいたわけではありません。まず、法蔵菩薩として

現れ、当時、他の仏とは比較にならない優れた世自在王佛の所で修

行します。仏さまは、たくさんいたけれど、世自在王佛は抜きんで

て優れた方でした。そこで修行しながら、宝蔵菩薩は、四十八の願

いをたてました。たとえば、第十八番目の願いを、蓮如上人の御文

では、末代無智・・・から始めて次のように述べています。

「一心一向に、仏助けたまへと申さん衆生をば、たとへ罪業は深重

なりとも、かならず弥陀如来はすくへましますべし。これすなはち

第十八の念仏往生の誓願の心なり」

どんな人でも苦しみや悲しみの世界から安らかな世界に導くという

願いでした。

世自在王佛が指示された厳しい修行が続きました。大海の水を升で

すくい、空っぽにするような厳しい修行です。その修行を成し遂げ

て、宝蔵菩薩は阿弥陀仏になりました。

正信偈(しょうしんげ)  2

阿弥陀(あみだ)さま

 

参考  それでは、南無阿弥陀仏阿弥陀さまは何でしょう。

阿弥陀さまは、二五〇〇年前ころに生まれたというお釈迦さまより、

遥か以前の方であり、お釈迦さまを遥かに超えた方です。

 

阿弥陀(アミダ)は、インドの言葉で、アミターユスとアミターバ

という二つの言葉から生まれました。

アミターユスは、寿命無量という意味です。命の絶えることがない

という言葉です。

アミターバは、 光明無限という意味です。照らす光はいつの時代

もどこまでも無限を意味します。

アミターユスとアミターバ。この二つから、阿弥陀という言葉が生

まれました。

命が無限の「無量寿」や、光がどこまでも照らす「不可思議光」も、

阿弥陀阿弥陀如来」と同じです。

阿弥陀さまは、遠い宇宙にも、手を合わせる人の周りにもおられま

す。全国のお寺さんで、中心にある軸や仏像は、多くは阿弥陀さま。

正信偈(しょうしんげ)  1

 

 帰命無量寿如来(きみょうむりょうじゅにょらい)

南無不可思議光(なもふかしぎこう)

 

要旨  無量寿如来は、命の絶えることの無い如来さまです。

不可思議光は、表現できないほど輝く如来さまです。

帰命(中国語)は、感謝し、おまかせして、ついて行くことです。

ナモ(インド語)は、それを中国語にして、南無と書きました。

意味は、同じく、感謝し、おまかせして、ついて行く

ことです。

二つの文は、ともに、「阿弥陀如来さま。感謝し、おまかせして、つい

て行きます。」

 

参考  正信偈は、親鸞聖人が書き、お経で多く読まれ、覚えている人がたく

     さんいます。正信偈の「偈(げ)」は、歌という意味です。中国の言

     葉で書かれ、意味の理解はむずかしいけれど、歌のように心地よく響

     きます。正信偈が、まず、「阿弥陀如来さま。感謝し、おまかせして、

     ついて行きます」」、と言う言葉から始まることは、うれしい。

御文(おふみ) 3

それ、人間の浮生(ふしょう)なる相をつらつら観ずるにおおよそ

はかなきものはこの世の始中終(しちゅうじゅう)まぼろしのごと

くなる一期(いちご)なり

 

要旨  人は、浮き沈みしながら、定かではない暮らしを重ねていく。生ま

れてから亡くなるまで、何が起こるかわからない人の一生。

 

参考  浄土真宗は、阿弥陀さまが、安らかな心に導いてくださる宗派です。

それを信じることから始まります。

 けれど、元気な人は、自分は大丈夫、仏教には関係ないと、考える人

が多いでしょう。

 この御文では、今日とも知らず、明日ともしらず、人は病に倒れるこ

とがあり、朝に明るい元気な顔が、夕刻には命絶えることもある、と

続いています。

 長い人生で、特に高齢になったとき、自分の力で及ばぬ世の無常を知

ることが多い。思わず手を合わせる姿は、周りにも、よくあること。

御文(おふみ) 2

その位を一念発起入正定之衆(いちねんぼっきにゅしょうじょうし

じゅ)とも釈し、そのうへの称名念仏は、如来わが往生を定めたま

へし御恩報尽(ごおんほうじん)の念仏とこころうべきなり

                             あなかしこ

 

要旨  「感謝しておまかせします。」深くそう思う心があれば、その人の

位(くらい)を、正定(しょうじょう)と言います。

正定とは、悟りに向い進んでいる人たちです。

その後で唱える念仏は、如来さまが、浄土に約束してくれた、お礼

と考えましょう。

 

参考  お経を唱えるのは、お金や名誉がほしくて、阿弥陀さまにお願いす

るためではありません。浄土に導いてくださる感謝で唱えるのです。

親鸞聖人は、始めは、厳しい修行をしました。それでも、めざす目

的は叶えられませんでした。そして、救われたいと、厳しい努力を

しなくても、阿弥陀さまを信じれば、救ってくださる、浄土真宗

広めたのです。終りにある「あなかしこ」は、今の「敬具」。

御文(おふみ)1

聖人一流の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心をもって本とせ

られ候ふ。そのゆゑは、もろもろの雑行(ぞうぎょう)をなげすて

て、一心に弥陀に帰命(きみょう)すれば、不可思議の願力として、

仏のかたより、往生は治定せしめたまふ (次ページに続く)

 

要旨  親鸞聖人が伝えたかったのは、阿弥陀さまを信じる心が基本。辛い

雑行に苦労することはない。また、普通の人にはできない。真心で、

阿弥陀さま、このような私でも思っていただき、ありがとうござ

います。」そう感謝すれば、阿弥陀さまの不思議な力が、安らかな

悟りに導いてくれます。

 

参考  御文は蓮如上人が書かれ、よく読む文章。その文章に、浄土真宗

大切なことが簡明に述べられていることはありがたい。蓮如上人は、

本願寺第八代の門主、今から約六百年前の人である。お経は漢文

であり分からない。やさしい手紙形式の文章で、浄土真宗を広めた。